ゲルマンの逃避行と出フェニキア
無名の起源
「ゲルマン」という名称には、語源的起源が存在しない。最古の使用例であるローマ時代のGermaniにおいてすら、それは彼ら自身の自己命名ではなく、他者による外部的分類名にすぎない。ケルト語起源説、印欧語根説、ローマ的意味転移説が存在するが、いずれもこの名称が民族の内発的記憶に根ざしたものでないことを示している。
ゲルマンは「民族名を持たない者たち」として歴史に出現した。その出自には神話も記憶も欠如していた。彼らは火を囲まず、儀式を形成せず、神話語彙を欠いた漂流体として、文明秩序の周縁をさまよい続けた。
この「無名」の起源は、単なる言語的偶然ではない。それは断絶と連関の喪失を伴う存在論的移行を意味している。ゲルマンはフェニキアに捕囚され、象徴を受け取る受動的存在、記憶の拘束を受ける従属的存在として置かれていた。しかし彼らは象徴を習得することも、制度に参与することもなく、この拘束からの逃走を実存的行為によって遂行した。
ここに、ゲルマンを「記憶拘束からの逃走的存在形態」と定義する理由がある。
神なき出発
この逃走は、黒海北方の湿原地帯(ドニエプル中流からポリシア)で始まった。スキタイやサルマタイの圧迫により、彼らは時計回りに北東へ移動し、中央アジアに至ってゾロアスターやインド的記憶秩序と接触したが、そこからも排斥され、アフガニスタン北部のヒンドゥークシュ山脈麓に漂着した。
ゲルマンの移動は単なる地理的拡散ではない。それは「火から逃れる者」としての、神なき出発の軌跡であった。フェニキアで一神教的原理に触れたものの、その核心を理解できず、むしろアーリア的多神教との混成解釈を行った結果、秩序形成に失敗し、ついに「出フェニキア」という逃避を強いられた。
この出発はモーセ的な出エジプトと対極にある。神の啓示に導かれて秩序を持ち出す移動ではなく、神から背を向けられ、秩序から排除されて始まる逃走であった。起点は神の声ではなく、象徴的には地の裂け目から吹き上がる冥府の火である。
この構図は今日、トルクメニスタンのダルヴァザ・ガスクレーターに視覚化されている。「地獄の門」と呼ばれるこの火は、啓示の火ではなく、神不在の証としての炎である。ゲルマンはこの冥府の火を囲み、秩序なき契約を交わし、記憶なき漂流を開始した。
模倣による再構成
やがて彼らはアルメニアやルーマニアを通過し、パンノニアを経て東アルプス、すなわち今日のオーストリアに定着する。この地域はローマ秩序の外縁であり、定座を持たぬ者たちが模倣によって秩序を再構成する空白領域であった。
ここで彼らは高地ドイツ語を硬質化させ、脱神話的で抽象的な言語秩序を形成し、宗教的にはカトリック制度を輸入・模倣することで支配構造を築いた。オーストリアが「神聖ローマ」を名乗りながらドイツ語を用いた理由は、この模倣構造の集約地点として解釈できる。
アングロ・サクソン的再結晶化
最終的にこの神話なき構造は、アングロ・サクソンの形で再結晶化する。アシュケナージ、アーリア、ゲルマンの断片的起源群を統合し、語源なき自己を語源ある者として偽装することで、イギリスは「名なき者たち」の集合を自らの神話とした。
そこに形成されたのは三枚舌外交の原点であり、自己を偽装し、他者を操作する多重神話構造である。この深層において、ロシア=正教的火秩序とゲルマン=火の外部秩序との対立が明確となる。ゲルマンは単なる民族を超え、記憶そのものに敵対する存在、すなわち「記憶の外部」としての文明的対抗体となった。
出フェニキアの構造
ゲルマン的起源は、「語源を持たぬ無名の存在」が「神なき出発」を通じて記憶と秩序を失い、模倣と偽装によってのみ自己を構築した歴史として定義される。その根源においてゲルマンは、フェニキア的三位一体の秩序――象徴、制度、記憶――に組み込まれた従属的存在であり、奴隷的立場を課されていた。だが、象徴を習得するのでも、制度を築くのでも、記憶を継承するのでもなく、むしろ拒絶と逃走によって存在を獲得した点に、その本質があった。
ここに「出フェニキア」という概念が成立する。すなわち、フェニキア的秩序の内部からの出発ではなく、その外部への逃走としての出発である。ゲルマンはフェニキアからローマ、カルタゴへと継承された記憶秩序の鎖から切断されることで、「位置を持たぬ存在」としての歴史を開始した。この逃走は単なる民族移動ではなく、記憶体系からの逸脱行為であり、文明秩序に対する否定的応答であった。
その後、ロシアが正教的秩序として「記憶の復元」を担い、ハザールが媒介的存在として介在し、アシュケナージが複合的な記憶変態を遂げていく中で、ゲルマンは一貫して記憶の外部に位置し続けた。アングロ・サクソン的形態において再結晶化したゲルマンは、記憶の保持者としてのロシアと構造的に対立し続け、文明の深層において今なお「記憶拘束からの逃走的存在形態」として作用し続けている。